北海道における戦いの歴史を見てみたい!

記憶の箱舟 北海道における戦いの歴史を見てみたい!

北海道における戦いの歴史

北海道の人類史において、北方勢力や大陸勢力と激突した初期の二大決戦、「阿倍比羅夫の北征(粛慎戦)」と「元(モンゴル)との戦い」について、その背景、戦況、結末を見てみる。

1 【大和時代】阿倍比羅夫の北征と「粛慎(みしはせ)」戦
7世紀、大和朝廷が東北地方から北海道にかけて勢力を伸ばそうとしていた時期の出来事だ。
斉明天皇4年〜6年(658年〜660年)阿倍比羅夫(あべのひらふ)を指揮官として、180隻の軍船で、蝦夷(えみし・後の擦文文化・アイヌの祖先)・粛慎(みしはせ・北方から侵入してきた海洋民族オホーツク文化人)との戦い。
戦いの経緯:阿倍比羅夫は日本海を北上し、現在の後志(しりべし)地方付近に到達した。そこで現地の蝦夷から「粛慎(みしはせ)という恐ろしい人々がやってきて、我々を攻めている。助けてほしい」と訴えを受ける。
比羅夫は「幣(ぬさ)」を立てて粛慎に和睦を呼びかけるが、粛慎側はこれを拒否。海辺に陣を敷いて激しく抵抗した。
戦況と結末:朝廷軍は圧倒的な船団数で粛慎を包囲し、激戦の末に勝利した。比羅夫は戦利品として、「生きたヒグマ2頭」と「ヒグマの皮70枚」を朝廷に持ち帰ったと記録されている。
歴史的意義:この戦いは、北海道における「在来住民(蝦夷)」と「北方移民(オホーツク人)」の対立に、南の「大和朝廷」が介入した初めての事例だ。これ以降、北海道の住民は大和朝廷との交易を強めていくことになる。

2 【鎌倉〜元代】対モンゴル(元)戦争
13世紀、フビライ・ハーン率いる世界最強のモンゴル帝国(元)が日本(元寇)だけでなく、北のサハリン(樺太)にも侵攻してきた際の戦いだ。
時期:1264年〜1308年(約44年間にわたる断続的な戦争)
勢力図
 イヌ(骨嵬/クイ):サハリンから北海道北部に住む人々
 元軍:大陸の騎馬軍団および水軍。
 ギルヤーク(ニヴフ):大陸側に近く、元に助けを求めた民族
戦いの経緯
元はサハリンの資源(毛皮など)を求め、現地のアイヌ(骨嵬)に服属を迫った。しかし、アイヌ側はこれを拒絶。元軍は1264年に大規模な遠征軍を送り、サハリンへ侵攻した。
驚異的な抵抗:アイヌの逆上陸
アイヌ側は優れた造船技術と航海術を持っていて、元軍の攻撃に対し、アイヌはただ守るだけでなく、アムール川(黒龍江)をさかのぼって大陸側の元の拠点を襲撃するという大胆な反撃を行った。
元軍は何度も大軍を送り込んだが、アイヌはサハリンの深い森と厳しい冬を利用したゲリラ戦を展開し、界最強のモンゴル軍を相手に、なんと40年以上も独立を維持し続けた。
結末:1308年、長引く戦争に疲弊した両者は講和し、アイヌ側が形式的に元へ毛皮を献上する代わりに、元との自由な交易権を認めさせた。
歴史的意義
この戦いを通じて、アイヌは「元」という巨大帝国のネットワークに組み込まれ、大陸の高級な絹織物(蝦夷錦)などを入手するルートを確立した。これは後のアイヌ文化の豊かさを支える「交易民」としてのアイデンティティを形成する大きな契機となった。

3 【室町時代】コシャマインの戦い
1457年、アイヌ諸部族 vs 和人(道南の館主たち)の戦いは、 和人地(函館周辺)との交易トラブル(刀の価格交渉)でアイヌの少年が殺害されたことで始まり シャインの下でアイヌが団結し、和人の拠点である12の館のうち10を陥落させたが、武田信広(松前藩の祖)により鎮圧され、これ以降、和人による北海道南部の支配が強固になる。

4 【江戸時代】シャクシャインの戦い
1669年、 アイヌ連合軍 vs 松前藩の戦いで、松前藩による不当な交易、資源の独占、金掘りによる環境破壊に不満が爆発。首長シャクシャインが全道のアイヌに呼びかけ、組織的な一斉蜂起を敢行したが、鉄砲を持つ松前藩に苦戦。最後は毒入りの酒による「だまし討ち」でシャクシャインが殺害され、アイヌの組織的な自決権は大きく失われた。

5 【江戸時代後期】クナシリ・メナシの戦い
1789年、アイヌ(国後・標津) vs 松前藩・和人商人の戦いで、和人商人による奴隷的な労働搾取や虐待に対し、アイヌの若者たちが蜂起し、和人71人を殺害したが、指導者が処刑され鎮圧され、この事件を重く見た江戸幕府は、松前藩から統治権を取り上げ、北海道を「幕府直轄地」へと変更した。