
記憶の箱舟 富士山の「浅間神社」8つを見てみたい!
富士山に「浅間神社」8つ
富士山といえば日本一の高さを誇り、日本を象徴する山で、人々は古来より富士山を崇拝していたという記録が多く残っている。
そのなかでも富士山を御神体とする神社を「浅間神社」と呼び、全国各地に存在する。
今回は浅間神社とは何なのか、そして世界遺産にも登録されている富士山麓に点在する8つの浅間神社を見てみる。

浅間神社 とは「 あさまじんじゃ 」「 せんげんじんじゃ 」と読み、 富士山を神格化した富士山信仰に基づいて「浅間」を社名とする神社 で、富士山を神格化した浅間大神である「木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)」をご祭神 としている。
浅間神社は現在 全国に約1,300社 あり、 総本宮は静岡県富士宮市にある「富士山本宮浅間大社」で、その起源は奈良時代 まで遡る。その頃富士山の活動が活発になり、度々噴火しては周辺の住民は大変な被害を受け、 噴火は富士山の神様である浅間大神の怒りが原因 と考えられいた。
その 神様の怒りを鎮めるために、社殿を建てて神様を祀ることになったのが浅間神社の始まり で、その時に坂之上田村麻呂によって築かれたのが「富士山本宮浅間大社」だ。

古来より人々は噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として畏れて、その噴火を鎮めるために富士山の麓に浅間神社を建立し、平安時代後期になると富士山の噴火活動も沈静化していき、その頃の富士山は山岳信仰と密教等が習合した「 修験道 」の道場となった。これが富士山信仰の始まりだ。
室町時代~戦国時代になると一般庶民も登拝するようになり、新たな富士山信仰が生まれ、江戸時代中頃には「 富士講(ふじこう) 」が関東を中心に大流行し、多くの人々が富士登山や富士巡礼を行うようになった。
明治になると女人禁制だった富士山も女性の登山が解禁となり、現在では国内外から多くの登山客が訪れるようになっている。
浅間の由来
「浅間(あさま)」とは火山を意味する言葉で、富士山も昔は「浅間」と呼ばれていたからで、「富士山」と呼ばれるようになったのは後世になってからで、「福慈岳」「不二山」など呼ばれていたなど諸説ある。

●富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市宮町1-1)
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は富士山の南麓にある静岡県富士宮市にあり、 全国に1,300余りある浅間神社の総本宮。
富士山の度重なる噴火を鎮めようと建立されたのが浅間神社の起源で、その始まりとなる神社。 創建は約2000年前 になる。
西暦806年に坂上田村麻呂が現在の地へ社殿を作ったのが始まりといわれていて、この地が選ばれたのは豊富な湧き水がある土地(湧玉池)が噴火を鎮めると考えられたからだ。
武士の時代に入ると、源頼朝、武田信玄、徳川家康と名だたる武将たちから崇敬をされるようになった。
現在の楼門・拝殿・本殿は、関ケ原の合戦に勝利した徳川家康が造営したもので、拝殿の脇にある大きな枝垂桜は武田信玄が寄進した桜の二世で「信玄桜」と呼ばれている。また源頼朝が冨士の巻狩に際して奉納した流鏑馬は現在まで続く伝統ある神事だ。
江戸時代に入ると「富士講」と呼ばれる富士山信仰によって多くの庶民が富士登山を行うようになり、富士山本郡浅間大社は富士登山の起点として大変な賑わいを見せるようになり、明治時代には官幣大社に列せられてた。
また奥宮は富士山の山頂にあり、 富士山の8合目から山頂までの広大な敷地は、富士山本宮浅間大社の社有地 となっている。
●北口本宮富士浅間神社(富士吉田市上吉田5558)
北口本宮富士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は富士山の北麓にある山梨県富士吉田市にあり、 富士山の北側の登山口(吉田口)の起点となっている。
1900年以上の歴史 があり、日本武尊が東方遠征の折に富士山を遥拝しこの地に祠を立てて祀ったのが始まりとされている。
毎年7月1日には「お山開き」、8月末には日本三奇祭の「吉田の火祭り」 が行われ、富士山の短い夏山の時期を盛り上げている。
歴史ある境内には本殿をはじめ、境内にある11棟の建造物が国の重要文化財に指定されている。

●山宮浅間神社(富士宮市山宮740)
山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)は静岡県富士宮市にある神社で、富士宮市街地から6kmほど富士山方面に向かった場所にあり、富士宮浅間大社は本来この場所にあり、神社としては1900年の歴史 がある。
神社といえば立派な社殿が建っていると思いがちですが、この 神社には建物がない。
境内にあるのは、南北約15m、東西約8mの石組みの空間で、そこには 富士山を直接拝むことができる「遥拝所」 がある。
かつて村人たちが社殿を造ることを試みたが、何度も風に吹き飛ばされ、結局造ることができずに現在に至っている。
本殿がないので跡地?と思ってしまいますが、富士山自体を神として拝む古の富士山信仰を体感できる神社だ。
● 村山浅間神社(富士宮市市村山1151)
村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)は静岡県富士宮市にあり、かつては 村山登山道の起点となった神社 だ。
12世紀ごろに富士山の噴火が沈静化すると人々は富士山中で修業をするようになり、これが発展して14世紀ごろには富士山における 修験道 が始まり、その 中心地となったのが村山浅間神社だ。
修験道は明治5年(1872年)に禁止されが、村山の法印の活動は1940年代まで続けられていた。
また明治時代の廃仏毀釈運動により廃されるまでは「興法寺」という寺院があり、中心的な建物である 「富士山興法寺大日堂」 が現存していた。
そのほか境内には護摩壇、水垢離場(修験者たちが身を清めた場所)などかつて修験道の中心地であった当時をしのばせる遺構を見ることができる。

●須山浅間神社(裾野市須山722)
須山浅間神社(すやませんげんじんじゃ)は富士山の南東麓にある静岡県裾野市にある神社で、かつては 須山口登山道の起点となった神社 で、ここから富士山山頂を目指した登山者が、ここで禊を行って登山の安全を祈願した。
社殿では日本武尊が創建したといわれ、1524年には存在していたことが確認されている。1707年の宝永噴火で登山道や社殿は大きな被害を受けており、現在の本殿は1823年に再建された。
1883年には御殿場口登山道が拓かれたことにより、須山口からの登山者は減少し現在に至る。
境内一帯は樹齢400年~500年以上といわれる巨大な杉に囲まれていて、神聖な雰囲気が昔と変わらず残っている。

●東口本宮冨士浅間神社(小山町須走126)
東口本宮冨士浅間神社(ひがしぐちほんぐふじせんげんじんじゃ)は富士山の南東側にある静岡県小山町にあり、 富士登山の東口である須走口の起点となる神社 で、歴史はは古く、807年に創建され 約1200年の歴史 がある。
平安時代に起こった噴火で恐れおののく住民たちのために、当時の国司や郡司といった役人たちが鎮火祭を行ったところ噴火が収まった。その鎮火祭が行われた跡地に神様を祀ったことが、神社の創建といわれている。
境内には江戸時代の遺構がそのまま残った社殿や神門、約80基残されている富士講の石碑など富士山信仰の歴史を感じる史跡も多く見ることができる。
またハルニレの木や根上がりのモミの木などの文化財や数多くの野鳥が生息していて、四季折々の自然の風景を楽しむことができる。
●河口浅間神社(富士河口湖町河口1)
河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)は山梨県富士河口湖町にあり、富士五湖の一つである河口湖の北岸にある神社です。 864年に起こった富士山の大噴火を鎮めるため、翌年に浅間大神を祀り建立された。
境内で最も注目されるのは御神木でもある 「7本杉」 で、 樹齢は1200年以上にもなる大木 で、 7本のうち2本並んだ杉は「縁結びの杉」として人気のスポットだ。
参道の中央には「波多志神」という朝鮮から渡来した氏族を祀る小祠が建っている。
また、神社の敷地内で徒歩30分ほど歩いたところに 「天空の鳥居」 があり、近年人気急上昇のスポットがある。そこは富士山の遥拝所になっていて、富士山の目の前に鳥居が立っているだけの風景なのだが、それがとても神秘的でパワースポットとして注目されている。
近年インスタ映えとして注目されているが、神社としてはそのような目的で建立したものではないとのことなので十分に配慮して参拝しよう。

●冨士御室浅間神社(富士河口湖町勝山3951)
冨士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)は本宮を 富士山最古の神社として、699年に富士山の二合目に創建されたと伝えられている。
現在、河口湖畔に建てられた神社は里宮で、富士山二合目という厳しい自然環境にさらされ続けて腐敗が進行してしまった本宮は、保存のために里宮の境内に遷祀された。
武田信玄をはじめとする武田家三代に渡って庇護を受けた武田家ゆかりの神社 で、信玄の安産祈願文を始めとする古文書が社宝として神社内に保管されている。
現在の本殿は1612年に徳川家康の家臣で領主であった鳥居成次によって造営され、以降改修も4回行われた。


